“生きる”


 辛かった。
 泣きたかった。
 心の中では「逃げたい」と叫び・・・・・・泣いていた。
 誰かに助けてほしかった。
 気づいてほしかった。
 そして「やめたら?」と一言言ってくれる人が一人でもいいからいてほしかった。

 だけど、私の思いは・・・・・・誰にも届くことなんてなかったんだ。


 月曜の昼休み。
 それは私にとって、地獄としか言いようがないものだった。
 昼休みなんかなくなってしまえばいい。
 これ程、『昼休み』という言葉を恨んだことは後にも先にもこの時だけだった。

 中学2年に上がった私の、1学期は何事もなく過ぎて行った。
 1年クラスで友達になった子とも、他クラスの友達も誰もいない2年クラス。
 だけど、ひとつだけ言うなら、このクラスには、一番一緒にいたくない女子がいることだ。
 小学校6年の卒業式まで2か月というとき、その少女の噂は流れてきた。あとから聞いた話では噂はどうやら本当の話だったみたいだけど。
 その噂は「先生をいじめて、やめさせた」という内容のものだった。名前も聞いていて、絶対に同じクラス、部活にはなりたくないと思い続けていたのに。
 1年のときの自己紹介で部活動が一緒だと知り、憂鬱になった。
 けど、知っている子も入っているし、かかわらなければ大丈夫だと安易な考えで続けていたが、このいじめたという少女の、部内での夏休みからの小さないじめで(私はされていたことすら気付かなかった)1年の女子テニス部内でいじめた少女をいじめ返す、やられたらやり返す作戦が決行された。
 当然、その子は先生に「部活を辞める」といったそうだ。これで部内が安全になったと思ったのもつかの間、テニス部受け持ちの先生は、話しあいをすると言い出したんだ。しなくたっていいのに。
 始まりは当然、
「いじめられたから、やめるって言ってるんだけどどういうこと?」
 だった。
 そんなもん、始めたのは、先生の隣に座っているしょぼくれた女が先だと、みんなで言ったともさ。彼女のしたことを全部。
 先生の決断は、双方とも謝って仲良く部活をしましょうだった。
 私はできるわけがない。と思った。こんな人と、仲良くなんてできない。
 それから、必要最低限の話以外は全くせずに1年は終えたのだが、2年で災難は降りかかった。
 まさか、同じクラスになるなんて。
 最悪。
 体育だけ2クラス合同で、友達と一緒にできたのが唯一よかったといえることなのかもしれない。
 そんな中、2学期になり、10月を過ぎれば前期から後期へ変わった。
 私の学校は生徒を班という名の箱の中へおしこみ、掃除、給食当番、席順、行事。事あるごとに班行動をさせていた。
 班も前期、後期とメンバーも班長も変わった。
 後期のメンバーが発表されたとき、正直言って、あまりいいとは言えるメンバーではなった。前期のメンバーの方がいいといえるほど。
 それでも、やっていかなければならないのが集団生活。いやでもここで過ごさなければならない。

 事の発端は、各班会議の時間に私の班の子が言ったことで始まった。
「みんなの委員会の仕事がない曜日に、クラスでゲームして遊ぶのっていくない?」
「あ、それいいね。他の班の子に委員会がある曜日聞いてくる!」
 私も委員会に入っているけど、この班の子たちはいつ委員会の仕事かを知っている。
 だから何も聞いてこない。
 こうして決まった曜日は月曜日。週最初の月曜日。
 週の真ん中とかじゃなくてよかったといえばよかった。
 晴れた日は外、雨の日は教室。
 給食当番がかたずけ終わったら始める。そう言う暗黙のルールのもと、毎週クラスで遊ぶようになった。


 ある日の月曜日。その日は大雨で、教室でフルーツバスケットをすることになった。
 ルールなんて、本来のルールとは違うが、全部が違うわけじゃない。
 自分が身につけているモノや自分のコトを言われたら動くだけ。ひとつ椅子をずれるのもあり。一人だけのモノもあり。
 こんなめちゃくちゃなルール、特にひとつだけ椅子をずれるのもありなんてもの、普通なら禁止に決まっている。理由はオニが、楽しくないから――。
 私だって、やられて楽しいはずがない。むしろつまらない。だって、またオニをやらなければならなくなる。
「7月生まれの人」
 これは私と数名の子しかいない。
 椅子から急いで立ち、空いている席を目指した。けど、結局は座れず、オニになる。
 私はじっと周りと見て一言。
「テニス部の人!」
 このクラスにテニス部は、私とムカつく女の2人だけ。
 それで、椅子に座れたんだけども、
「テニス部でぇ三つ編みしてる人〜」
 私しかいない。当然オニの言うとおり、立たねばならない。
 だけど、何だというのか。私に対するいやみなのか?
 気にしない方がいいと、別の人をターゲットにオニから椅子に。
 だけど、ムカつく女が鬼になると、そのたびに、私ばかりが狙われる。
 だんだんと、ムカついて来て、交代する時に怒りがたまりすぎた私は、そこで切れた。
 本気でムカついた。
 他の人だっていっぱいいるのに、なんで、私だけ?私のことばっかり言うの?
 我慢すればよかったかもしれないけれど、もうそんなのできなかった。
 二人で、喧嘩になりかけた時、運よくチャイムが鳴る。授業が始まる。机を戻さなければならない。
 この時は、チャイムで皆が一斉に椅子を持って、机を戻した。
 だけど、何が面白かったのか、楽しかったのか、わからないんだけど、全然理解できないけど、その日から、毎週月曜日は『フルーツバスケット』の日。
 そして、オニは常に私になった。
 言うことなんかすぐに尽きてしまう。
 黙り込むと、「早くしてよ!」「何でもいいから言えばいいじゃん」だった。
 椅子に座れてもすぐにオニ。延々と続くオニ。
 面白がって、私の班の子は止めようともしない。提案者なのに、人が困っているのに口から吐くことは、他の子と変わらない言葉。
 だんだんとゲーム中黙り込むようになり、ずっと囲われた椅子の真ん中で10分立ちっぱなしの時もあった。
(ここから、逃げだしたい。今すぐに、別のところに行きたい。他のクラスだったらよかったのに。もう学校に来たくない)
 辛くなって、目が潤む時が何度もあった。
 こんなとこで涙は見せちゃいけないと、自分自身に言い聞かせ、けどやっぱり辛くて、でも泣けなくて。
 友達にも言えなかった。もちろん家族にも。
 後3か月の辛抱だからと、我慢した。すっごくムカついたけど、きっと、この人たちは私が切れたのが面白かったんだと思う。
 だから、怒りを外へは出さなかった。常に、歯をくいしばって、言わないようにした。
 図に乗せるかもしれないから。
 けどやっぱり月曜日だけは辛かった。どうしようもなく辛かった。
 本当の親友とも呼べる友達との会話が私の救いで、その子たちと話をしたいがために月曜日は頑張って、学校を休まずに行った。
 帰り道、話したいから、休憩時間も話したいことがあるから。
 だから、昼休みのたった25分間が1日のように長く感じても、学校に行けば、友達がいる。クラスが違っても、笑って話せる友がいる。
 その思いだけで、2年生を乗り越え、進級することができた。
 あの女と、私と同じ班になった5人とは同じクラスにならなかった。合同体育も別。

 進級すると同時に、テニスに惹かれて始めたテニス部を退部同然で休部した。
 中学2年の10月から幽霊部員となってしまったけど、テニス部へ行けば、あの女がいる。
 とても行く気にはなれなかった。続けようとも思えなかった。


 中学2年に何度も思ったこと。毎週毎週繰り返し思ったことは、学校に行きたくない。学校なんてなくなってしまえばいい。
 けど、話したいことが友達に話せない。それは嫌だ。
 ――――だった。
 辛くても頑張った。助けてほしかったけど、友達を思い出し、頑張れると心で言い聞かせ、乗り越えた2年生。
 考えれば、いじめといってもおかしくないこのゲームは、3年に上がりクラス替えをしたと同時になくなり、3年生のクラスは、2年でクラスが一緒の子は四分の一もいない程。
 うれしかったけど、2年を休まずに乗り越えられたのは、私の友達のおかげ。
 口に出しては言わないけれど、『ありがとう』と何度お礼を言っても言い足りないよ。
 君がいたから、私は学校へ行こうと思った。君がいなければ、私は不登校児になりかけていたかもしれない。
 死んじゃった方が・・・・・・なんて、暗いことを考えたけれど、悲しんでくれる人を思い浮かべて、死のうなんて考えは止めた。まぁ、もともとそんな勇気はなかったんだけど。
 私が生まれて、喜んだ人を思い出し、この命を途絶えさせることをやめた。

 私を救ってくれたのは、辛い時、苦しい時だったけど、何も知らない笑顔で話しかけてくれて、どうでもいい日常とか、漫画の話とかの手紙を毎朝書いてくれて、そこにいてくれた、君たちのおかげだよ。
 アリガトウ。あなたたちは私にとって一生モノの宝です。
 大好きvv


END

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